こんにちは、おとぼけです。
今回から新シリーズになります。
アクアリストの皆さん、深海の世界って気になりませんか?
世界最高峰のエベレスト(8848m)が丸々すっぽりと埋まってしまうほどの海溝が太平洋に6つもあるんです。
ちなみに世界10位は日本海溝の8020mなんですよ!
世界10位で8020m???
この記事の目次
- それってどれだけ深いんじゃ?素潜りで行ける距離かい?
- 世界初の深海潜水艇はスイスの有名物理学者が開発
- オーギュスト・ピカール氏、何故ガソリンにしたの??
- バチスカーフ号(深い舟)の水深記録
- 第二次大戦が終わった後、日本とフランス合同で深海調査を開始!!
- 改良されたバチスカーフ・トリエステ号、今度は2名で深海に行っちゃうYO
- オーギュスト・ピカールの息子が、この深海の冒険に行く!
- 人類最大のチャレンジ、人類は地球の最深部に到達できたのか?
- 人類最大ミッションを達成したバチスカーフ・トリエステ号のその後
- バチスカーフ・トリエステ号の限界
- 最深部10911mにジャック・ピカールとドン・ウォルシュ大尉が見た世界とは
- 深海調査を続ける現代
- 編集後記:
それってどれだけ深いんじゃ?素潜りで行ける距離かい?
分かりやすく例えると、富士山(3,776 m)の2倍の深さなんですよ。
素潜りで潜れる距離じゃありません。(当たり前だ!)
陸上3000m以上の高所では、ほとんどの生物は見られないです。
でも水深3000m以下の深海ではまだ未知の世界が広がっており未知の生物が存在します。
その未知の世界で生息している生物達は、その世界で生きるために独自に進化を遂げてきた生物達です。
我々アクアリストも不思議な魚、可愛い魚を飼育し、その生命の繁殖、生態に感動を覚えていると思いますが
深海に生息している生物は私達が飼育している生物と予想外の生態・形状をしています。
海面を堺にすると、陸上に生存する生物とはまた違った生物界が深海に広がっています。
海底は、もう一つの世界なんですよ。
そんな海底に存在する生物を少しずつ紹介したいが、
まずは人類が深海まで行った険しい道を紹介しよう。
好奇心旺盛なアクアリスト達の胸が踊る記事を、おとぼけはこれから書き続けたいと思う。
それじゃ、今回もいってみよーう!
世界初の深海潜水艇はスイスの有名物理学者が開発
(photo by wikipedia オーギュスト・ピカール)
1948年、スイスの有名物理学者オーギュスト・ピカールが世界初の深海観測艇・バチスカーフ号を開発しました。
ちなみにバチスカーフ号はギリシャ語で「深い舟」の意味を持っています。
(photo by wikipedia バチスカーフ号)
この潜水艇は重りをつけて海底に沈み、それを切り離して浮上するという原理で設計されています。
バチスカーフ号は細長い船体に、海水よりも密度が小さいガソリンを搭載し浮力をつけました。
オーギュスト・ピカール氏、何故ガソリンにしたの??
(photo by wikipedia Gasoline)
実はガソリンは深海の水圧に潰れないというメリットがありました。
そこに目をつけたオーギュスト・ピカール氏は沈降時は鉄の重りをつけ、海底に沈み浮上時はその重りを切り離して捨て浮上をし海面にもどる仕組みになっていたんです。
オーギュスト・ピカール優秀すぎワロタww
バチスカーフ号(深い舟)の水深記録
そんなオーギュスト・ピカール氏が設計したバチスカーフ号
人類のまだ見ぬ世界へ導く為にバチスカーフ号は幾度も深海に沈み続けました。
1953年には地中海で水深3150mまで潜りました。
そして翌年の1954年にはなんと自らが搭乗して水深4050mまでの潜航に成功。
人間が到底いける所ではない世界に自ら設計した潜水艇で
震度4050mまで達した時のオーギュスト・ピカールはどんな心境だったんですかね。
この時はの潜水艇の乗員は1名なので未知の世界を孤独で深水し続けたんです。
きっとその深海の光景を目に焼き付けて、
大切な誰かと一緒に見て共有したいと思ったのでしょうか。。。
第二次大戦が終わった後、日本とフランス合同で深海調査を開始!!
1958年に我ら日本にも改良型の2代目バチスカーフ号は来ています。
しかもその時は日本海溝調査の為、日本とフランスの合同調査です。
日本がポツダム宣言を受諾して降伏し第二次大戦は終わりました。
そして日本は高度経済成長期を経て、日本とフランスの合同で深海調査を行う
人間の知的欲求心は凄まじいですね。
この時は宮城県女川起きで水深3100mまでの水深に成功しております。
改良されたバチスカーフ・トリエステ号、今度は2名で深海に行っちゃうYO
(photo by wikipedia マリアナ海溝)
更にバチスカーフ号は改良を重ねバチスカーフ・トリエステ号を開発
このバチスカーフ・トリエステ号は乗員2名を搭載することが出来ました。
1960年にバチスカーフ・トリエステ号が今回深海調査に挑むのは、世界最深のマリアナ海講チャレンジャー海淵
この最大のミッションにチャレンジする人物は?
オーギュスト・ピカールの息子が、この深海の冒険に行く!
(photo by wikipedia ジャック・ピカール)
な、なんとこの人類最大のミッションに行くのはオーギュスト・ピカールの息子、
「ジャック・ピカール」が挑むのです。
ジャック・ピカールはスイスの海洋学者、技術者兼冒険家です。
アメリカ海軍のドン・ウォルシュ大尉の二人でとりわけ最も深い海マリアナ海溝のチャレンジャー海淵に挑むのです。
ジャックはアメリカ海軍からの財政援助を受けて潜水艇バチスカーフ・トリエステを作り、そのままコンサルタントとして雇われました。
今回のミッションはアメリカ海軍による海底に沈没した物資引き上げの目的で海底探検の価値を認めてもらい深い海の探検に模索することが出来ました。
さぁ、遂に人類最大のチャレンジです。
人類最大のチャレンジ、人類は地球の最深部に到達できたのか?
(photo by wikipedia バチスカーフ・トリエステ号(マリアナ海溝に潜る直前の写真)
ジャック・ピカールとドン・ウォルシュ大尉と共に
最深部10911mに4時間48分かけて到達しました。
そして最深部に到達した二人は、未知なる海底に30分ほど滞在したのち計りを切り離して3時間17分かけて浮上しました。
この有人潜水は世界最深記録を永遠に破られる事なく、
ジャック・ピカールは82歳になるまで深海探検を続け2008年11月1日レマン湖畔にある自宅で死去しました。86歳没でした。
人類最大ミッションを達成したバチスカーフ・トリエステ号のその後
この潜水は世界中の注目を集めました。
そりゃあそうですよね、人類が地球の最深部に行ったのですから。
しかし注目とは裏腹にこの深海探検はこれが最後になったのです。
バチスカーフ・トリエステ号の限界
(photo by wikipedia オーギュスト・ピカール)
実はバチスカーフ・トリエステ号は維持費が非常に高く、ただ潜るだけの装置でした。
潜るだけの装置でサンプル採取や写真撮影が出来なかったのです。
そして1961年にバチスカーフ・トリエステ号は廃船となりました。
翌年の1962年に初代バチスカーフ号の設計者であり、
ジャック・ピカールの父親、「オーギュスト・ピカール」は
スイスのローザンヌで死去しました。
最深部10911mにジャック・ピカールとドン・ウォルシュ大尉が見た世界とは
1961年に深海の最深部まで潜った
バチスカーフ・トリエステ号は廃船となりましたが
同年、人類は世界初の有人飛行を成功させました。
世界初の有人飛行を成功させたガガーリンは
「地球は青かった」
と語っています。
最深部10911mまで行った人類が発した言葉は
「あんな深海にまさかヒラメのような魚やエビ類が住んでいようとは!!!」
深海調査を続ける現代
以来、人類はそのルーツを探るかのように、海底探検に幾度も目指し未知の深海生物と遭遇しています。
バチスカーフ号の調査からまだ50年程、深海魚探検は始まったばかりです。
そして近年、モントレー湾で透明な頭を持つ怪魚が発見されました
むむむ、あれは一体何なんだ!!!
関連記事:神秘的な怪魚、頭が透明な深海魚デメニギスの生態と近年の研究報告を紹介(動画あり)
編集後記:
アクアリストの皆さん今回の記事はどうでしたか?
熱帯魚を飼育している友人は周りにどれ程いますか?
おとぼけの周りにはそういった友人が少なく寂しいです。
最近はtwitterを始めてアクアリストと交流を図っていますが、
熱帯魚に興味がない層も深海生物には多少興味があるとは思います。(超勝手)
そういった不思議な生物を紹介し、魚に興味を持って頂いてアクアリストの人口が増えればいいなーと
ふと思いながら記事を書いていました。
それじゃ、またお会いしましょう!